どうもこんにちは。
1級葬祭ディレクター僧侶はるくんパパです
今回のお話は前回からの続き
お寺の子供あるある その2
前回までのあるあるはこちらから
もし現役のお坊さんや、お寺の子供さんたちがよんでくれたならきっと
共感の嵐間違いなし!
それでは張り切って続きいってみましょう!
まずは
☆「何かお経言ってみてよ」
これですね!
帰国子女だとか英会話教室通っているとかそんなも人はきっと言われる
「英語しゃべれるの!?ちょっとしゃべってみてよ!!!!」
と同じノリですよね
こんなこと言われるのは小学生とか中学生なんですけど、その頃ってそんな覚えるほどお経唱えてないので無理なんですよ。覚えようとして唱えてもいないですし、何となくで覚えているのはあっても私の宗派は真言宗ですので真言を唱えたところで伝わらないでしょうし、言ってみたところで「???」って顔されるだけですよね。
きっと期待しているのは
「南無妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀仏」とかせいぜい「般若心経」ですよね。最初の2つは宗派が違うので唱えないですし光明真言唱えてもコレジャナイ空気になるだけです。
「般若心経」だって、ずっと唱えていると何となくで覚えますけど間違えずにしっかりと覚えて唱えるのってけっこう大変なんですよ。あまり意識せずに唱えているとけっこうスラスラいくんですが、1回でも間違えたり、般若波羅蜜多無限ループにおちいる経験があったりすると途端にわからなくなったりするんです。そうするとどうにも終わらなかったり、しっかりと意識して覚えて唱えないといつまた般若波羅蜜多無限ループにおちいるかの恐怖で経本見ずに唱えるのが怖くなります。
そもそもですが、お経は間違えて唱えるということはあってはならないことなので、経本はしっかり見ながら間違えないようにするのが基本です。それこそお釈迦様が自ら説法をしていたころのインドの人たちはとても記憶力が良かったので今のように文字で残すことはせずに、すべて話して伝えていたそうです。ただ、それでは解釈の違いや聞き間違いで内容が違ってしまっていたりしていたので、今のようにお経という形で文字におこして間違えのないようになっているのです。
まぁ「お経唱えてみてよ」って安易に言ってみたら30分以上お経唱えられても嫌じゃないですか?
「英語喋ってみてよ」って言ったらその後永遠と英語で話しかけられたら嫌ですよね。それと同じです。
※般若波羅蜜多無限ループとは般若心経後半にやってくる「般若波羅蜜多~」から始まる部分です。この「般若波羅蜜多~」で始まるところが4回やってくるので、意識しないと同じところへ返ってきたり、飛ばしてしまって混乱したりする原因となります。もし般若心経を暗記したい人がいたら特にこの後半の部分を意識して唱えると覚えやすいですよ!
続きまして
☆「俺が死んだらお葬式やってね」
これも小学校とか中学のころとかよく言われましたね。
えっとまずはあなたの家の菩提寺はどこですか?話はそれからですね。
もちろん檀家であれば無条件でお葬式をあげましょう!
私も今現在なら私自身で戒名を考えて葬儀の導師を勤めることもできます。でも当時は中学生とかですよ。できるわけないですよね。
そして菩提寺が違えばもちろん葬儀の導師は勤められませんし、お経を唱えてあげることもできません。
菩提寺の住職から怒られます!
もし、大人になってからこんなこと言われたら
・自分の家の菩提寺がどこなのか
・墓地はどこにあるのか
・宗派は何なのか
ちゃんと言えるようになってからです。
例えば菩提寺は遠くで今はご縁もないし、もしものときのことをそのお寺に聞いたら「近くのお寺とかで頼んじゃってもいいよ」と話してくれたとかなら葬儀をやりましょうじゃないですか。
ちゃんとした大人ならこうなりますけどね。これが困ったことに以前勤めていた葬儀社で「オレに戒名つけてくれよ!家の菩提寺にはもう戒名ついているから葬儀は読経料だけでよろしくって言うからさ!」っていう人がいましてね。そんなことすれば怒られるだけじゃ済みませんし、そもそも生前戒名ですからもしそれが叶ったとしても私に授戒料は納めてもらいますからね!っていう話です。
続きまして
☆「お賽銭もらえるんでしょ。いいなぁ。」
え~まぁ直接もらえるわけではないですよね。
お賽銭をお寺の収入として計上してお布施などの収入からまとめてそこから給料としてもらっているのであれば、まぁお賽銭ももらっていることになるのかな。
ただこんなこと言って来る人ってだいだい想像しているのは京都の清水寺とか成田山新勝寺とか浅草寺とかそんな観光寺のお賽銭でしょう。
それも初詣とかのイメージ。確かに観光寺であればお賽銭ってかなりの金額になるんだと思いますよ。成田山の初詣の頃って毎日現金輸送車で銀行に持っていくっていうのも聞いたことありますしね。
でも私のお寺のような小さいところではお賽銭の金額なんてそんな金額にはならないんですよ。そもそもお賽銭なんですから金額の大小ではないと思います。
「今年もいい年でありますように」
「今年も健康でいられますように」
「家族の病気が治りますように」
「試験に合格しますように」
「良縁に恵まれますように」
「子宝に恵まれますように」
色んな願いをそのお寺の本尊様にお願いしてその対価として願いを込めてのお金です。それをもらえるとか収入がとか考えるものではないですよね。
それがわかっていないのが賽銭泥棒ってやつですよ!
私のお寺でも数年前に賽銭箱ごと持っていかれたことがあるのですが、結局賽銭箱も見つからずです。盗んだ人はそこに入っていたお賽銭の願いすべてを背負ってきっと今もどこかで生きているのだと思います。とても私には重すぎて生きていける気がしません。
そして賽銭箱を盗んだ人はきっと中のお金目当てだったのでしょうね。お寺としてはその賽銭箱自体を新しく買い直すのが大変なんです。さらに私のお寺の賽銭箱は先代住職が手書きで「浄財」と書いたこの世の中でたった一つだけの賽銭箱。今では決して同じものを用意することはできないのです。そんなこともわからずに盗んできっと賽銭箱自体は壊したか、海外にでも売ったのでしょうね。
そんな賽銭泥棒は入っていた賽銭の願いをすべて叶え終わるまで生き続けてがんばってください。決して私は手伝いませんので!
ごめんなさい後半は賽銭泥棒の話になってしまいましたね。
続きまして
☆「お寺なんだから字うまいんでしょ」
これもよく言われます。
特に社会人になると。
正直に言いますと私は
「字が不自由です」
おそらく普通の人よりも文字がへたくそですね。自分でも自覚しています。
お坊さんだから、お寺なんだから字は必ず上手であると思いこまないでください。
ただそんな理由で字を書くこと、例えば香典袋に書いてほしいとかそんなことを。
「いや、字下手なんでご自分で書いたほうが絶対にましですよ」
って冗談でもなんでもなく本気で言っても、
「いやいやお坊さんなんだから、そんなことないでしょ!いいからそんな遠慮しなくても大丈夫だから書いてよ!自分で書くより絶対にうまいんだから!」
とけっこう強めに言われたりもします。
本気で書きたくなくて困っていると、字が不自由仲間が
「オレと同じで、はるくんパパは字が不自由だからやめたほうがいいよ」
と助けてくれます。いい同僚をもったもんです。
いや、本当にお坊さんだから字がうまいそんなことないんですよ。私は書道教室とかにも通わなかったですし、そもそも大人になれば勝手に字はそれなりに上手くなるともわずかながら思ってましたからね。
今はパソコンがあるのである程度のことは直接字を書かなくても済みますけど、やはり位牌や塔婆などは直接筆文字を書く必要があります。いろいろな手段を用いてなんとか見れる字を書くことはできていますけど、今になってみたら子供のころに書道習っておくんだったかなとも思っています。
続きまして…がまだあるんですが、またまた長くなってしまったので今回はこれで一旦切りますね。自分でも思っていた以上に「あるある」を考え出すと書きたいことがあふれ出てきます!こんなに溜め込んでいたのですね。
それでは続きは
「その3」へ
良い終活のお供となることを
合掌
こんな難しい事でななくてお坊さんの日々の生活や趣味とかそんなことを気軽に覗き見たいな~なんて方は趣味ブログもやってますので、息抜きにこちらもお越しいただけると有難いです。
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